好きだった趣味を、心や体の理由で手放した経験はありませんか?
やりたいことがあるのに、体がついてこない。
私は以前、バス釣りが生きがいでした
休日は夜明け前に起きて、タックルを積んで水辺へ向かう――そんな日々が「自分が生きている証」だったんです
でも、ある日突然、その釣りをやめました
理由は「お金」だけではありません。心と体が、悲鳴を上げていたからです。
この記事では、バス釣りをやめてから起きた変化、体と心のリアルな声、そして私なりの「小さな再出発」について正直に綴ります。
無理して続ける“好き”は、本当の幸せじゃなかった
自分を追い込んでまで「好きなこと」を続ける必要はない
手放して初めて気づくことも、確かにある。
釣りをやめてから私は、少しずつ健康を取り戻しました
でも同時に、「自分を失ったような感覚」もありました
矛盾したまま、それでも日々を生きています
バス釣りが生きがいだった私に起きた、ある異変
釣りをしていた頃、私は毎週末が待ち遠しくてたまりませんでした
目覚ましなんて不要。薄暗い早朝に自然と目が覚めて、「今日は釣れるかも」とワクワクしながら車を走らせたものです。
あの静けさ、水面のゆらぎ、タックルの手応え
どれもが「自分は今、生きてる」と実感できる瞬間でした
でも、釣りから帰ってくると、決まって体調を崩すように
高熱、頭痛、原因不明の不調
病院でもはっきりとした診断は出ず、私は次第に「好きなのに、なぜか苦しい」状態になっていきました。
楽しんでいたはずの趣味が、体と心を壊していた理由
今思えば、あの体調不良は、心と体からのブレーキだったのかもしれません。
「好きなことだから我慢できる」「楽しいから無理できる」――
そんなふうに自分を押し続けていた結果、限界がきていたのでしょう。
釣りを辞めてから2年半、一度もあの高熱や頭痛は起きていません。
体は正直です。
そして心もまた、静かにSOSを出していたのだと思います
釣りをやめて生まれた「空白」と、新しい習慣のはじまり
釣りをやめたあとの私は、「空白」に悩みました。
休日に時間があっても、することがない
何のために起きればいいのかわからない。
そんな中で始めたのが、ランニングとノートへの思考の書き出しでした
ルームランナーで汗を流し、ひたすら考えをノートに書く。
誰にも見せない、ただの自己対話です。
不思議と、そうしているうちに「釣りに行かなきゃ」という義務感は消えていました。
自分と向き合う時間が、少しだけ心を整えてくれたのかもしれません。
まだ揺れてる。でも、自分を責めないで生きていきたい
正直なところ、まだ前を向けてはいません。
釣り道具はすべて手放しましたが、そのお金をスロットに使ってしまったり、心の穴を埋めようとしてあがいたり――
自分でも「何をやってるんだろう」と思う瞬間があります。
でも、過去を振り返って言葉にしてみることで、少しずつ、自分を責める気持ちは和らいでいます。
またいつか、心と体が整ったときに、釣りと向き合える日が来るかもしれない。
そのときは「ちゃんと楽しめる自分」でいられるように、今は無理せず、自分と向き合っていこうと思います
最後まで読んでいただきありがとうございました