会社を辞め、自由を得たはずなのに、なぜこんなにも孤独なのか–
40代で労働組合委員長としての重責を終え、新たな一歩を踏み出した私
待っていたのは、想像以上の「心の孤立」でした
実家に戻り、地元での人間関係にも違和感を覚える日々
今回は、そんな「見えない孤立」と、そこから見えてきた現実についてお話しします
居場所を求めたリアルな日々
地元で感じた”自分だけ仲間外れ”という現実
仕事をやめてから時間ができたことで、地元の交友関係の変化に改めて気づきました
私はもともと、自分からよく友人を誘って遊ぶタイプでした。組合の仕事が忙しくなるにつれ、誘うことも減っていきました
その時は気にしていなかったけど、辞めて時間ができた今、はっきりと”疎外感”を感じるようになったのです
ある日、2年ぶりくらいにバス釣り仲間の一人に再会しました
彼は異動や結婚で疎遠になっていたのですが、話の中で地元メンバーでゴルフを始め、打ちっぱなしやコースにも行き、終わったあとは飲み会までしていると知りました
「みんな忙しいんじゃなくて、俺抜きで会ってるんだ」と、そのとき強く思いました
あれだけ誘っていた自分が、今では誰からも誘われない
その事実に「ああ、つまらないな」と思うと同時に、胸の中に重たいモヤモヤが広がりました
たとえ、今更誘われても行かないが
家族との距離が心をさらに追い詰める
実家に戻ってからは、家族との関係にも違和感を抱えるようになりました
父とは会話が成立せず、話を訂正すると「なんか、お前と話しているとヤキヤキする」と言われ、母は分かっていないことを分かったように話し、最後には「わからんけど」と投げる
質問しても無視されるし、めんどくさがられて避けられる
正直、もう会話が成立していません
出て行けとも言われず、仕事についても何も聞かれない
その”何も言われない“という重圧が、逆に心にのしかかってきます
「自分で自分を追い詰めて、出ていきたくなるように仕向けられてるんじゃないか?」そんな思いすらよぎるようになりました
幼なじみとの再会で突きつけられた孤独
さらに追い討ちをかけたのは、ブログを運営しているという幼なじみとの再会でした
会社を辞めて間もないころ「ブログをはじめたんだ」と話すと、彼もやっているという
私は「そのブログ教えて」と聞いたのですが、彼は「恥ずかしいからイヤだ」とひと言。結局、教えてもらえませんでした
彼は私のブログは見ている
心の中では正直「はっ?」って思いました。怒っても仕方ないし、我慢しました。何かがズレてしまったような感覚が、さらに孤独感を深めました
こんな仕打ちされるために、頑張ってきたわけじゃない
わたしは、自分なりに真面目に生きてきたつもりです。人のために動くのが正しいと思って、10年以上、労働組合の委員長として頑張ってきました
ときには家族よりも仲間を優先し、自分の生活を削ってまで走り続けてきました
それなのに、なぜこんな仕打ちを受けるのか。家族からも地元からも、社会からも、どこにも自分の居場所がない
本当にきつい。全部きつい。
でも–
居場所がないなら、自分でつくる
今は、すべてを見返してやると心に決めています
誰も助けてくれないなら、自分で立ち上がるしかない
居場所がないなら、自分でつくるしかない。だからこのブログを書き続けるし、自分の言葉で誰かに届くように発信していきたい
たった1円でも、自分の力で稼げたら、それが希望になる
これからも諦めずに、自分なりの再スタートを模索していきます
最後まで読んでいただきありがとうございました
この記事が、どこかの誰かの心に届きますように