記憶が曖昧なのは、心が曖昧だったかもしれない
たしかにトレードはしていた。でも、何を考え、どう動き、何を感じていたのかが、残っていない
記録魔のように毎日ノートを書いていたあの頃が、どこか遠くに感じる
“デモトレード卒業”から半年近くが過ぎ、私は再び心を見失いかけていた
孤独と現実逃避
結果はマイナス2,430円。だけど、それ以上に”何も残っていない”
まず、結論から
5月のトレード収支は▲2,430円
そこまで大きな損失ではない
でも、問題は数字じゃなかった
ノートを見返して、愕然とする
稼働日数20日なのに、記録はたったの3ページ
エントリーも、エグジットも、ルールの検証も–何一つ、ちゃんと書かれていない
まるで、そこに“私”が存在していなかったかのように
チャートは5分足に戻っていた…でも、記録はない
トレードスタイルにも、微妙な変化が出ていた
4月の迷走を経て、知らぬ間に5分足チャートに戻っていた
そして、以前のように銘柄の価格帯いこだわらず、ルールに当てはまればエントリーする柔軟性も持ち始めていた
なのに–なぜ、記録がない?
なぜ、その変化を自分で振り返れていない?
「チャットGPTに頼っていた頃」の記憶
そういえば、この頃だった
チャットGPTに毎日、5分おきの始値、高値、安値、終値、出来高、VAWPを入力して、エントリーポイントを聞いていた
今思えば、必死だった
けれど、当然ながら明確な「正解」は返ってこなかった
結局、判断は自分に委ねられる
それでも、どこかで”誰かに決めてほしかった”のだと思う
自分で自分を信じ切れない苦しさから、逃れたかった
ノートの空白の5月29日。心が沈んでいた証拠
5月29日、この日だけでマイナス3,250円
けれど、ノートには何の記録も無い
むしろ、この月のトレードノートはほとんど”無言”だ
いつもはローソク足や出来高でカラフルに埋まるほどなのに、少しの言葉だけでほとんど何もない
それが何よりも異常だった
たぶん、現実逃避していた
もう、自分を直視したくなかった
何かを記憶すれば、それは”失敗”として残ってしまうから
孤独だった。だから、誰かに聞いてほしかった
5月
心が静かに、でも確実に”下振れ”していた月
勝ちたい気持ちはあるのに、踏み出せない
前に進みたいのに、頭の中が真っ白になる
そんなとき、誰にも言えずに苦しんでいた
だから、ノートじゃなく、誰かに聞いてほしかった
この孤独が、記録を止め、思考を止め、記録すら奪っていった
次こそ”自分を取り戻す”
記録がないからこそ、気づいた
私は記録に救われていた
孤独な戦いでも、ノートがあったから前に進めた
その手を止めた途端、心が壊れ始めた
6月こそ、もう一度、**「なぜトレードをするのか」**を見つめ直したい
その一歩として、今こうして振り返り、言葉にしている
【次回】
作成中
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