会社を辞めたら、解放されると思っていた。時間にも、人間関係にも追われない自由な日々。
ところが、気づいたら”孤独”だけが残っていた
毎日のように一緒にいた仲間は誰一人いなくなり、今では実家で高齢の両親としか会話をしない日々
これは、一度すべてを失った男が、自分自身と向き合いながら歩き出すための、静かな物語です
仲間がゼロになった

今、遊んでいる仲間は誰もいない。
ゼロ人だ
かつては毎日のように会って、毎週のように飲みに行っていた仲間たち
でも今では、誰とも会っていないし、誰からも誘われない
正直、ショックだった
思えば、集まりや飲み会を企画していたは、いつも自分だった。私が動かさないと何も始まらなかったのかもしれない
でも、呼ばれていないのは、それだけじゃなかった。ある日、仲間に入れたひとりがきっかけで、私だけが呼ばれなくなっていた
えっ?なんで?と混乱した
仲間だと思っていたのは、私だけだったのかもしれない
労働組合委員長という役割の代償

労働組合の委員長をしていた頃、常に誰かのことを気にかけていた
不満をくみ取り、行事を回し、意見の板挟みになりながらも人のために走り続けていた
でも、他人を気にしすぎて、自分のことは無頓着だった
ある飲み会で「めんどくせー」と言われたことがある。空気を読んで場を盛り上げようとしただけだった
それが”ウザい”と思われていたのかもしれない
おせっかいで、押し付けがましい人間になっていたのかもしれない
失ったつながりの数々

結婚、子ども、家庭・・・。同世代の仲間たちは、それぞれの生活に移っていった
だが、それでも「一言くらい連絡があってもいいのに」と思ってしまうのが人情だ
現実は、1年以上誰からもメールすら来ない。結婚式でスピーチをし、ご祝儀まで包んだ相手からもだ
そんな関係が「仲間」だったのかと、思わずにはいられない
グループラインが別にあったことを知ったとき、自分が社会から消えたような気がした
地元にいても、居場所がない

唯一の共通の趣味だったパチスロも、今では無職の私はあまり行けなくなり俯瞰して見ることができた
ホールで会う人たちは、負のエネルギーをまとっているように感じる
「この台がどうだ」とか「今日は○万負けた」とか、不幸自慢のオンパレード
会話も楽しめず、どんどん心が削られていく
見かけても、声をかけることをやめた。”自分が不幸になる前に離れよう”と、直感的に思った
すべてを失って、何が残ったのか

もうすぐ両親も80歳になる。会話のキャッチボールも難しくなっている(もともと会話なき家族)
朝のあいさつもない風習。変えようと必死に「おはよう」と言ってきたが、返ってくるのは「うん」だけ
このまま、誰とも深く関わらずに年老いていくのか・・・
でも、そう思った瞬間「このままじゃ終われない」という気持ちが。かすかに湧いた
孤独が教えてくれたこと

孤独になって初めて、見えてきたものがある。人間関係は、「役割」や「肩書き」でつながっていたのだということ
私という”人間そのもの“を必要としてくれた人は、ほとんどいなかった
でも、そのことに気づけたのは、孤独になったからこそだ
これは、決してネガティブなだけではない
再出発のきっかけに

私は今、デイトレーダーとして、新たな人生を模索している
勝てる日ばかりではない
むしろ、負けが続くことが多い。でも、相場と向き合う時間でもある
ブログを書くことも、そのひとつ。こうして気持ちを綴ることで、自分の存在を確認している
孤独は苦しい。だが、孤独だからこそ見える景色もある
この景色を力に変えて、もう一度、自分らしく歩き出してみたい
それが、今の私の本音です
最後まで読んでいただきありがとうございました