パチンコ・スロット依存を断ち切るため、夢中になれる趣味を探していた時期がありました
学生時代の記憶を頼りに始めたバス釣りは、一時的に”希望の光”のように思えた。しかし、楽しい趣味がもうひとつの依存に変わるとは、このとき想像もしていませんでした
今回は、そんな私の過去を振り返りながら、「依存と趣味の境界線」について書いてみます
パチンコ依存から抜け出したくて始めた「バス釣り」
- 昔の記憶から興味を持ち始めた釣り
- 「健全な趣味」と信じたバス釣りへの没頭
パチンコ依存症の出口が見えず苦しんでいた頃、何かに没頭できれば気が紛れるのではと考えた
思い出したのは、学生の頃に熱中していた鯉釣り
その経験もあって、自然と「バス釣り」に興味を持ち始めました。釣具店に通い、タックルやルアーを揃える時間はまさに新鮮で、希望に満ちていました
結局は”朝マズメ→日中パチンコ”という悪循環
- 釣りは楽しいが、日中の時間は空いてしまう
- 結果、パチンコ屋に吸い寄せられる
私の勝手だがバス釣りは早朝が勝負
朝マズメに釣りを終え満足感とともに日中の時間が余り、気づけばその空白を埋めるようにパチンコ屋に足を運んでいました
むしろ釣りに行った分、余計に散在してしまった日もあります
趣味が増えた分、出費も増え、依存の構造は何ひとつ変わらなかったのです
釣りもパチンコも勝てば金は消え恋愛も遠のいた
- 勝てばタックル購入、気づけば散財
- 婚期を逃した原因と感じている
バス釣りでもパチンコ・スロットでも、勝てば嬉しい
その喜びの反動で「タックルを買いまくる」「翌日も行きたくなる」といった衝動が強くなっていきました
楽しいはずの趣味が、人生の大切な時間を奪っていた
恋愛にも目が向かず、気づけば婚期も逃していたと思います
仲間は結婚し、私だけが取り残された理由
- 釣り仲間もパチンコ仲間も、今は家庭持ち
- 私だけが孤独になった”あの転機”とは?
釣りやパチンコ・スロットを通じてできた仲間は家庭を持ち連絡が途絶えた
同じことをしていたはずなのに、なぜ私だけが孤独なのか
その答えを探して振り返ると思い当たるのは「労働組合の委員長になった経験」
責任を背負い、自分を押し殺して(10年)生きてきたことが、人間関係にも影を落としたのかもしれません
友達がいなくなったのは、「環境が変わった」だけ
大人になると人間関係は自然と整理されるし、孤独に思えても”自分を見直す時間”が与えられた時期
ムリに「数」を求めるより、1人でも気を許せる人ができれば、それが本物だと思う
いないけど・・・