気がつけば、バス釣りから離れてもう何年も経っていた
昔の自分なら、毎週のようにフィールドに立ち、リグやタックルのことばはり考えていたのに
今はもう、新しいルアーを選ぶワクワクも、釣果記録写メを見返す喜びも、なくなってしまった
なぜやめたのか?
一言では言えない・・・
でも、どこかで誰かが同じように「趣味をやめる痛み」と向き合っているかもいれない
だから今、私の本当の気持ちを書いてみようと思う
1.かつて夢中だった頃のこと
バス釣りを始めたのは、たしか20代半ばの頃だった
最初は何を買えばいいのかも分からず、老舗釣具店の人に選んでもらったことを覚えてる
気づけばロッドとリールは何本も持っていたし、ルアーケースはパンパンだった
仕事帰りに中古釣具へ寄るのが日課で、スロットで勝ったときには新しいタックルを買っていた
釣り場では、キャストが決まるだけで気持ちが高ぶった。「子バスでもいい」釣れたときのアタリ、あの感覚が大大好きだった
素人なりの季節ごとのパターンを読み解くのも楽しかったし、失敗しても「次はどう攻めるか」を考えるのが面白かった
気づけば、釣りは”生活の軸”になっていた
2.釣りがすべてだった私
釣りは”趣味”以上のものだった
仕事のストレス、人間関係のしんどさ、日々の鬱屈した気持ち
全部、釣り場に持って行って、キャストとともに吐き出していた
釣れない日も、釣れた日も全てが癒しだった
水面の音、風、空、そしてヒットの瞬間。全部が生きている実感だった
3.転機:会社を辞めて収入が途絶えたこと
そんなふうに、釣り中心に回っていた日常は、ある日突然終わった
会社を辞めた
理由はひとことで言えるような単純なものじゃない
いろんな感情が積み重なって、気づいたら退職届けを出していた
最初は少しの開放感もあった
「ブログで稼いでなんとかなるだろう」なんて、甘く考えていた
実際にはそう簡単じゃなかった
再就職なんてこれぽっちも考えていない
「このままでいいのか」
「何をやっているんだろう」
そんな焦りと罪悪感だけが積み重なっていく中、ふと、釣り場からも足が遠のいていった
4.原因不明の体調不良 ~釣りを遠ざけた本当の理由~
釣りをやめた理由は、金銭的なことや気持ちの問題もあった
正直に言えば、一番の理由は「体調」だった
あれはたしか、10月中頃だった
いつも通り、ウォーキングをしていた
なんだか足の付け根(股関節)がだるく少し痛む
翌朝、カラダが重く頭がガンガン痛い
熱を測ると、38度
医者に行くも「風邪」と言われ風邪薬を出されて終わり
薬が全く効かない、寝ても治らない
「またか」と・・・
頭痛と高熱が10日間以上も続いた
「またか」と思う理由に、これが初めてではない症状なのだ
毎年ではないが、6月と10月に起きていたってこと
それも、野池やダムに行っていた時期と重なる
もしかしたらアレルギーだったのかもしれない
ダニか、植物か、カビか、何か。
はっきりした原因は今もわからない
ただひとつ確かなのは、バス釣りを絶ってからからは無いが「釣りをすると、またあの高熱と頭痛が来るかもしれない」という不安が、どこかにずっと残っていたってことだ
5.心の逃げ場と、自分への失望
釣りをやめたあと、ポッカリと穴が開いた
収入がない。釣りもできない
新しいルアーを選ぶ楽しみも、野池に向かう高揚感もない
「じゃあ、今の自分は何を楽しみに生きているんだろう」
気づけば、私はスロットに行っていた
あれだけタックルやルアーを買うお金に罪悪感を待っていたくせに、貯金まで使ってまで
わかっている。おかしいことは
でも、何かに没頭していないと、心が崩れそうだった
あの日の自分は「釣りに依存していた」んじゃない
“何かに逃げていた”自分を、ずっと認めたくなかっただけなのかもしれない
そして気づいたときには、心だけじゃなく、体も壊れていた
6.釣りをやめて、見えてきたもの
バス釣りをやめて、もう2年半が経つ
最初の1年は、後悔と葛藤の連続だった
釣り場の写真を見るだけで苦しかったし、YouTubeの釣り動画は避けていた
自分が「そこにいないこと」が、ただただ悔しかった
でも、時間が経つにつれて、ふと思うようになった
「あの頃、少し無理してなかったか?」
体調を崩してまで、釣りにこだわっていた
ロッドやルアーを買えないことで、自分を責めていた
今思えば、それは”趣味”じゃなくて”義務”になっていた気がする
釣りを離れて、やっと見えた
自分に必要だったのは、「バス釣り」そのものじゃなく、”自分を大切にする余裕”だったのかもしれないと
7.読んでくれたあなたへ、そして自分自身へ
今でも、バス釣りは好きだと思う
ただ、以前のような「熱狂」ではなく、「懐かしさ」としてそこにある
またいつか、ふとしたきっかけで竿を握る日がくるかもしれない
でも、もうムリはしない
“釣りをしない自分”を責めることも、恥じることもしない
今は、過去の自分を振り返ることで、前を向けている。もしこの記事を読んで「自分もそうだった」と思ったなら、あなたも、きっと大丈夫だと伝えたい
やめたことは、負けじゃない。手放した先に、新しい自分が待っているだけ
そして今、この文章を書いていることが、私にとっての”釣り”になっているのかもしれない
8.本当は、まだ怖い。けれど、それも今の自分
過去を振り返って、ようやく前を向けるようになった…そう言いたい。でも、正直に言えば、まだ向けていない私もいる
心のどこかで、「また釣りに行きたい」と思っている。でも、同時に「またあの高熱と頭痛がきたら…」という不安もある
釣り場に向かうことすら怖い
魚のいる水辺を見るたび、心がざわつく
お金のことは、実は“言い訳”だったのかもしれない
本当は、身体が壊れるほどのあの恐怖から、逃げたかっただけなのかもしれない
それでも
こうして正直な気持ちを文字にして、残すことで少しだけ楽になった
過去の私に「今はまだ前を向けてないけど、それでも生きてるよ」と伝えたい
そして未来の私に、「また釣りができる日が来るかもしれないね」と、やさしく声をかけたい