「組合委員長って、なんか偉そうで権力持ってそう」 そう思っていた人も多いかもしれません
でも実際は孤独と葛藤の連続でした
30歳で就任してから10年間、交渉、調整、提案、フォロー、上部団体との関係に追われる日々
社内の人間関係、上司からのパワハラ、上部団体からの重圧、組合員からの不満・・・
“誰のために頑張っているのか”が分からなくなる夜もありました
それでも、自分を信じて走り抜いたあの時間が、今の自分の背中をおしてくれている
そんなリアルな労働組合委員長の裏側を、当時の想いとともに綴ってみました
※あくまでも個人的意見です
“みんなのため”は、ときに孤独
労働組合の委員長という立場は、外から見ると「頼られるリーダー」や「発言力のある人」といった印象を持たれがちです
実際には、”自分の意見”はほとんど言えない立場です
会社側と交渉するたびに思う「組合員とその家族の幸せのため」その重さ
会社からは「組合なんてなくてもいい」と言われる一方、組合員からは「組合費何に使ってるの?」「なんで昇給が少ないんだ」と問われる
どんなに準備しても、どれだけ頑張っても、”感謝”より”文句”の方が先に来る
そんな中で、「やってて良かった」と思える瞬間はほんの一握り
でも、そのわずかな言葉が、心に深く残るんです
たとえば、深夜まで交渉したあとにポツリと「ありがとう」と言ってくれた後輩。その一言だけで、また次の日も頑張れた気がします
社内の空気は複雑だった
30歳で委員長になった当時、周りは年上の組合員ばかり
最初は本当にやりづらかった。「なんでお前なんだ?」という空気も感じていました
さらに、仕事では二足のわらじ状態
業務と組合の両立に苦しみ、結果的に上司からパワハラを受けることもありました
組合で頑張っていても、社内の評価にはつながらない。むしろ、煙たがれることの方が多かったと思います
そんな中、職場の人間関係がさらにややこしくなると、「なんのためにやってるんだろう・・・」と、自分を見失いそうになる日もありました
同僚の一人が「委員長の立場って大変だな、俺には無理だわ」と言ってくれたとき、「分かってくれる人はいる」と少し救われました
正直、何度も辞めたくなりました。特に交渉が難航した夜や、誰からも感謝されないと感じた瞬間は、本当に辛かった
そのたびに「自分がやらなきゃ誰がやる」と、自分に言い聞かせ続けてきました
あの経験が、今の自分を強くしてくれている
たしかに、委員長としての10年は、心身ともにキツいことの連続でした
でも、振り返ると、交渉力、情報整理力、人間関係のバランス感覚、そして何より「信じたことをやり抜く力」を得ることができたと思っています
あの経験があったからこそ、会社を辞めたあとも「自分でなんとかやってみよう」という気持ちが芽生えました
うまくいかないことも多いけど、過去に耐え抜いたあの日々が、今の自分を支えてくれています
兄弟組合や上部団体との壁。感じた”見えない格差”
労働組合委員長として活動していく中で、避けられなかったのが”兄弟組合”や”上部団体”との関係だった
表面上は「仲間」であり、「連携を大切に」と言われてはいたが、正直なところ、私はその輪の中に完全に入れた実感はなかった
自分が所属していたのは、組合員規模で100人も満たない小さな組合
対する兄弟組合や上部団体の多くは、大規模を母体とした数百人、数千人規模の組織
会議や研修、勉強会の場で強く感じたのは”格差”だった
意見を述べれば、どこか鼻で笑われてるような空気。「ああ、小さいところはそんな感じなんですね」とでも言いたげな、あのなんとも言えない目線。
自分が被害妄想なのかもしれないと思ってみたこともあるが、場数を踏むごとに確信に変わっていった
正直、私は賢い人間ではない。弁も立たない。テレビで見るような選挙選で勝ち抜いて選ばれて委員長になったわけでもなく、勢いと流れでその席に座ったようなものだ
そんな私が、大規模組合の洗練された委員長たちと肩を並べるには、あまりにも分が悪かった
会議のあとの懇親会では、それがより顕著になる。酒の席になると、人の本性が垣間見れる
気づけば私はいつも一人。誰かが気にかけてくれることもなく、取り残される
「なんで、飲みの場まで、私に地獄を経験させたいのか?」そんな思いが胸に湧き上がるたび、「我慢だ」と頑張った
それでも、私はよくやっていたと思う。肩を並べれなくても、比べられて笑われても、自分なりの正義と信念をもって委員長を務めていた
小規模だからこそ見える現場の声に耳を傾け、泥臭くても伝える努力を続けてきた
あの時の孤独と悔しさは、今も胸の奥にある。だけどそれは、今の自分にとって「確かな経験」になっている
だからこそ言える
「立場や規模で人を測るような組織では、本当の意味での”団結”は生まれない」
最後まで読んでいただきありがとうございました