バス釣りが大好きだった
休みの日は朝早く起き、タックルを車に積んで野池やダムに向かう
–そんな日々が、私にとって「生きている実感」だった
けれど、ある日突然その釣りを辞めた
本当の理由は「お金を使いたくない」だけじゃない
何年も悩まされていた原因不明の高熱と頭痛
たまに釣りに行くとなぜか体調を崩し、心も身体も限界だった
この記事では、私がバス釣りを辞めた本当の理由と、そこから起きた生活の変化・心の葛藤をリアルに綴っています
同じように「好きなことを手放した経験」がある人や、「やりたいのに、やれない」自分と向き合っている人へ、少しでも届けばうれしいです
1.釣りをしていた頃の私
バス釣りをしていた頃、休日に目覚ましなんて必要なかった
胸の高鳴りで自然と目が覚め、まだ薄暗い時間に家を出た
「釣れるかも」というワクワクと、静かな水辺に向かうあの時間が、何よりのご褒美だった
2.辞めた直後の空白と新しい習慣
釣りを辞めてからも、しばらくの間は土日になると同じ時間に目が覚めた
でも、そこにあの胸の高鳴りはもうなかった
その代わりに始めたのが、ルームランナーでのランニング
汗だくになるまで走ったり、スピリチュアルな思考にハマって、思いつくまま2時間ノートに書き続けたりした
そうやって自分と向き合う時間が増えていく中で、「釣りに行かなきゃ」という義務感はいつの間にか消えていった
3.体調の変化と心のブレーキ
不思議なことに、あの頃毎年のように悩まされていた原因不明の高熱と頭痛が、この2年半、一度も起きていない
毎年6月や10月に訪れていたその不調は、釣りをやめたと同時になくなった
もしかすると、私の心や体は、どこかでブレーキをかけていたのかもしれない
4.それでも抜けない”穴”
とはいえ、スロットやパチンコには今も行っている
釣り道具はすべてフリマで売って、そのお金も結局スロットへ
何をやってるんだ、自分
正直、バカだと思う
5.本当にほしかったもの
でも、たぶん私が本当に求めていたのは
「ここに自分がいる」「今、生きている」
そういう感覚だったんだと思う
釣果じゃなくて、釣りそのものが、自分の存在を確かめる手段だった
6.罪悪感と釣りと、矛盾だらけの私
収入がない今、貯金を崩せばまた釣りはできる
でも、あの高熱と頭痛が再発するのは怖い
罪悪感を背負ってまで釣りはしたくない
そんな自分が、スロットには行っている
…何なんだろうな、本当に
7.今、私が思うこと
まだ前を向けているわけじゃない
でもこうして過去を振り返り、言葉にすることで
少しだけ自分のことを許せている気がする