元労働組合委員長が語る、正義感で人生が崩れた瞬間

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「自分が動かなければ、誰かが傷つく」「黙っていたら、現場は守れない」–そんな信念で走り続けた会社員時代

そして、労働組合の委員長という役職を引き受け、10年。私は、誰よりも仲間を思い、誰よりも会社と戦ったつもりだった

だが、その”正義感”が、気づかぬうちに、自分の人生を崩していった

今だからこそ、伝えたいことがある

正義感が強かった自分

「誰かのために」は当たり前だった

私は、昔から「困っている人を放っておけない性格」だった

口より先に体が動くタイプで、不公平なことを見ると黙っていられない

だからこそ、組合活動にも自然と力が入った

「現場を守るために」「後輩たちの未来のために」

そうやって、自分のことは後回しにし、ひたすらに人のために時間とエネルギーを注いできた

気づけば、誰も味方がいなかった

最初のうちは感謝された。頼りにされることも多かった

だが、年月が経つにつれ、空気が変わった

「またあいつが騒いでるよ」「委員長って面倒くさいよな」そんな陰口が、耳に入るようになった

さらにプライベートでも、自分の立場が変わっていった。

よく一緒に飲みに行っていた仲間とも会わなくなった。気づけば、自分が誘わなければ集まりもしない関係だった

そして、誘うのをやめた途端、音沙汰がなくなった

つい最近、久しぶりに地元の友人の会った。すると、何人かでゴルフに行ったり、飲み会をしたりしているという

自分だけが誘われていなかった

その瞬間、胸がざわついた

「ああ、俺はいらない存在だったのか」と

正義の裏にあった「無意識の自己犠牲」

委員長時代、私は「仲間のため」と言いながら、自分をすり減らしていた

家族と過ごす時間、自分の将来、心の安定

すべてを「誰かのため」に捧げていた

誰もそれに気づいていなかった、むしろ「面倒くさい人」と距離を置かれていた

今思えば、正義感というのは、自分を満たすものであったのかもしれない

誰かに必要とされたい

役に立ちたい

そんな想いの裏には、自分の居場所を保ちたいという、見えない不安があったのかもしれない

崩れた人生–それでも生きていく

会社を辞め、気づけば40代半ばで実家暮らし

周囲は家庭を持ち、人生を築いている中、自分だけが取り残されたような気持ちになる

地元では仲間外れにされ、家では会話にならない親と過ごす日々

兄からの心無い言葉に傷つき、かつて仲間だと思っていた人々からの無関心に心が折れそうになる

それでも生きていく

今は、デイトレという孤独な戦いの中で、自分と向き合っている

結果が出るまで時間がかかるかもしれない

それでも、自分の足で立ち、自分の手で未来を切り開いていきたいと思っている

最後に

正義感で傷ついた人へ

もし今、組織や人のために頑張りすぎて、自分を見失っている人がいたら、こう伝えたい

正義感は、あなたの人生を支えてくれるものでも、壊すものにもなる

大切なのは、”誰かのため”に尽くす前に、“自分のため”に生きること

私のように、後悔を抱えながら振り返るのではなく、あなたには今、少し立ち止まって、自分自身を大切にしてほしい

私はこれからも、何度でも立ち上がるつもりだ

孤独でも、悔しくても、最後に笑っていられるように

最後まで読んでいただきありがとうございました

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