会社を辞めて、時間ができた
久しぶりに顔を合わせる地元の知人や昔の友人—だけど、思っていたような関係ではもうなかった
「あれ、俺って、もしかして…仲間外れ?」
静かに、でも確実に心を削るような現実にぶつかって、はじめて気づいたことがある
孤独の正体
仲間だと思っていたはずなのに
会社を辞めてすぐの頃、たまたまバス釣り仲間のひとりと、2年ぶりくらいに会った
昔はよく一緒に釣りに行っていたやつで、仕事の異動と結婚をきっかけに、会わなくなっていた
ひさしぶりに話していると、なにげなく出てきた「ゴルフ」の話
どうやら地元の仲間たちは、最近みんなでゴルフを始めていたらしい
打ちっぱなしに行き、たまにコースにも出て終わったあとは飲み会までやっているという
聞いた瞬間、思った
「あれ、誘われてない…」
「みんな、俺抜きで会ってるんだ…」
組合の仕事が忙しかった時期、たしかに自分から誘うことは少なくなっていた
それまでは、誰よりも、よく声をかけていたつもりだった
それなのに、今は完全に蚊帳の外
胸の奥がズンと重たくなって、思わず心の中でつぶやいた
「あー・・・マジで、つまんね」
幼なじみからの予想外のひと言
そんな中、もうひとつモヤモヤする出来事があった
これもまた、会社を辞めて間もない頃
地元の知人と久しぶりに会ったときのことだ
私のブログを知っていて見てると言ってきた、その知人もブログを運営しているという話になり、「もしよかったら、教えてほしい」と聞いたが
返ってきた言葉は予想外だった
「恥ずかしいから、イヤだ」
はっ?…正直、内心ではかなり嫌な気持ちになった
幼い頃からの知り合いだったし、昔からどこかプライドだけは高いやつだった
「カスのくせに」なんて言葉が頭に浮かんだのも事実だ
でも、グッとこらえた
ここで感情をぶつけても何も変わらないし、自分もそういう”面倒くさい人間”にはなりたくなかった
ただ、それでも残ったのは–虚しさだった
地元に居場所がなくなった感覚
保育園からの仲間、ずっとつながっていると思っていた存在に、「自分はいらない」と突きつけられたような気がした
今では、地元にいること自体がつらいと感じる
子供部屋おじさんとして実家で過ごしている毎日
家でも気を遣い、外でも仲間に入れず、「いったい、自分はどこに居ればいいんだろう?」と考えることが増えた
それでも、誓った「見返してやる」
自分は、労働組合の委員長として10年近く、人のために必死で動いてきた
仲間のために時間を使い、頭を下げ、声をあげてきた
なのに…
今、そばに誰もいない
キツイ。本当に全部キツイ
思い通りにならないことばかりだ
それでも思った
「絶対、見返してやる」
このまま終わってたまるかと
何も結果が出ていない今でも、その誓いだけは、心に深く刻まれている
おわりに
孤独は痛い。それが目を覚ましてくれる
仲間から外される経験は、誰にとっても痛い
だからこそ気づけることもある
「本当に自分を大切にしてくれる人は誰か」
「これから、どう生きるべきか」
孤独の中にこそ、自分の答えが眠っていたりする
次は–その孤独をバネに、どう立ち上がるか
最後まで読んでいただきありがとうございました
【次回予告】
「再スタート③|会社を辞めた40代元労組委員長が味わった孤独。居場所を求めたリアルな日々」