労働組合の委員長として全力で走り続けていた過去
組合員のため、その家族のため、会社のため–
そんな”誰かのため”の人生をいきてきたつもりだった
しかし、仕事を辞めた今、気づいてしまった
自分には「帰れる場所」が、ひとつもなかった
実家にいても、地元にいても、かつての仲間たちに囲まれていても、どこにも「自分の居場所」が感じられない
これは、組合活動にすべてを捧げてきた元委員長が、孤独に押しつぶされそうになりながらも、それでも前に進もうとする記録です
仲間外れの現実
保育園からの仲だったのに…気づいたら”誘われない側”の孤独
組合の委員長として忙しく働いていた頃、自分から地元の仲間を誘うことも自然と減っていった
でも、正直あの頃はそんなこと、気にもしていなかった
毎日が業務と会議と板挟みの連続で、地元の人付き合いに思いを巡らせる余裕なんて、全くなかった
しかし、退職して時間ができると、驚くほど周囲の景色がよく見えるようになる
あれ?みんな、もう俺のこと…誘ってない?
2年ぶりくらいに再会したバス釣り仲間が、何気なく話してくれた最近の話
「みんなでゴルフ始めてさ、ちょくちょくコースも出て、終わったあと飲み会もやってるよ」
その瞬間、フッと何かが冷めていった
『ああ、みんな忙しいわけじゃない。ただ俺を、呼ばないだけなんだ」
学生時代からのつながり、保育園からの付き合い
それでも、そんな”自然”に仲間外れにされている今が、つらくて、情けなくて、たまらなかった
地元に居たくない。本気で思った「子供部屋おじさん卒業したい」
この地元という空間に、自分の居場所がもうないことに気づくのは、静かで重たい感情だった
仲間の輪から外れていったことも、家族とのかみ合わない会話も、「自分がどこにも必要とされていない」と感じさせるには十分だった
父との会話は成り立たず、訂正すれば「お前と話しているとヤキヤキする」と言われる
母は、会話になるが内容は薄く、聞いても返ってこない
避けられているとすら感じることもある
何も言われない
ただ、そこに”いるだけ”のプレッシャー
そして、月一で実家に泊まりに来る兄の存在
子供の頃から苦手だった、自分勝手な兄
昔は「早く結婚しろ」「何やってんだ」と心をえぐるような言葉を平気で言ってきた
そんな兄が、当たり前のようにこの家に出入りしている
そんな日は、1パチに逃げ込む
誰にも会わずに済む場所
何も聞かれず。誰とも話さなくていい場所
組合にすべてを捧げたはずだった。でも、残ったのは「孤独」だけだった
かつては、人のために時間を惜しまず動いていた
組合の仕事は、想像以上に重たく、苦しい場面の連続だった
それでも、「誰かのために動ける自分」を支えにしていた
でも、振り返ってみると、”自分自身の人生“には、まるで気を使ってこなかった
そのツケが今、こんなかたちで押し寄せているのだろう
ふと目の前にある現実を見つめると、胸の中にモヤモヤとした塊が広がる
怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか
それすら言葉にできない、濁った感情だ
もう全部キツい。でも、「絶対、見返してやる」
何をやってもうまくいかない
働いても認められず、辞めれば人は離れ、実家にも安らぎがない
ここで終わりたくはない
心のどこかで、ふつふつと湧いてくるのは**「すべて見返してやる」**という感情だった
誰かを憎んでいるわけじゃない
でも、バカにされたまま終わりたくない
透明人間みたいに、いなかったことにされる人生なんて、まっぴらだ
本当の再出発は、”悔しさ”から始まる
「もう終わりだ」
そんな風に思っていたけど、この悔しさが、案外”火種”になるんじゃないかと、最近は思えてきた
–自分の人生を、誰かに評価されなくても、自分の足で立てるようにしたい
–この経験が、どこかで誰かの役に立つなら、文章にして残していきたい
一歩ずつ
何もないように見える地面にも、自分の足で踏みしめていける道をつくる
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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