「人のために」と思って踏み出した労働組合の道。でも、気づけば自分自身を追い込んでいた—。
これは、ある元労働組合委員長が経験した、労働組合の裏側と、その後の人生を率直に綴ったリアルな記録です
組合に関わる人、関わろうとしている人にこそ、届けたい想いがあります
委員長就任
「人のために」始めたはずだった
私は、社員の声を届けたいという想いから、労働組合の執行部に入り、委員長まで務めるようになりました
誰かがやらなければいけない仕事
会社との交渉、制度の改善、現場の不満を拾い上げる毎日
「頼られている」「信頼されている」
そう思っていました
でも、今振り返ると、それは”私”というより”委員長という肩書き”に対する信頼だったかもしれません
見えない壁と、見下しの視線
兄弟組合や上部団体とのやりとりでは、小規模組合である私たちは、明らかに下に見られていました
大規模組合では選挙で選ばれ、戦略的に動く精鋭たちがいる
その中で、勢いだけで委員長になった私は、会議でも、懇親会でも、いつも浮いていた
飲みの場で一人きり
あの空気の冷たさ、いまだに忘れられません
退任後、誰もいなくなった
「仕事を辞めたら、時間ができたら、また一緒に飲みに行こう」そう言ってくれたいた人たちから、連絡は一切来ません
助けたつもりだった。支えていたつもりだった。
でも、私が動かしていたのは「仕事」と「お金」だった
いま、私には何もない、誰もいない
それが現実でした
委員長になるということ
それは、自分を削り、孤独になること
仲間も、仲間と思っていた人も、いつの間にか離れていきました
自分から誘わなければ会うこともない。気を使いすぎて、面倒くさいと思われたのかもしれない
労働組合の委員長になるということは、『自分の人生を後回しにすること』だと思います
少なくとも私は、そうでした
本音で言います
『やらない方がいい。今の私だから言えること』
組合活動が社会的に重要な役割を担っているのは間違いありません
でも、もし「人生の安定」や「家族との関係」、「自分らしさ」を大事にしたいなら、私は委員長も執行部も、おすすめはできません
あなたの人生を生きてください
無理に「人のため」に自分を潰さないでください
最後に
私はいま、人生を立て直そうとしています
デイトレードという孤独な戦いの中で、自分を見つめなおしています
「委員長になってよかった」と、正直まだ言えません
でも、この経験を言葉にして誰かの支えになるなら、それだけで救われる気がします
あなたの人生を削ってまで、誰かの正義を背負わなくていい
自分を大事にする人生を、どうか選んでください
最後まで読んでいただきありがとうございました